· ソウルフード

僕は、赤味噌マニアを自任している。

僕が産まれた名古屋には、赤味噌を使った美味い料理がワンサカあるからね。味噌汁は『赤だし』しかあり得ないし、海外旅行から戻ったときの『味噌煮込みうどん』はマスト。味噌かつ、味噌串かつ、味噌おでん、どて煮、田楽と美味い赤味噌料理はオンパレードで揃っているし、『つけてみそかけてみそ』という調味料はどこの家の冷蔵庫のなかにも備わっている。牛丼の松屋が名古屋に初進出してきたとき、味噌汁は「赤だし」だったくらい、名古屋人にとって赤味噌はソウルフードなのだ(松屋の味噌汁は、すぐに白みそに変わったけどね)。

僕はその名古屋でも下町産まれ。赤味噌マニアが、僕の矜持と言ってもいいくらい赤味噌を愛している。ブランドで言えば燦然と輝く二大巨頭、『まるや』と『カクキュー』しか味噌と認めていないし(『まるや』の浅井社長とは仲良く話をしていただく仲でもある)、美味い赤味噌料理があると聞けば艱難辛苦を乗り越えて食べに行くし、なんなら一ヶ月全食、赤味噌料理だってカモンベイベ!だ。

そんな僕がある晩、歌舞伎町にある肴と日本酒が素晴らしく美味い店で、N先生を会食していたときだ。

「この近くに『幻の赤味噌』を出す店があるんだ」

と、津軽蛸の刺し身をつまみながらN先生が言った。

「いやいや、僕は名古屋の人間で、赤味噌マニアですよ。その僕が知らない『幻の赤味噌』なんてあり得ないですよ!」

目の前に置かれた、なまこの共和えを青森の日本酒でたのしみながら、憤然と僕は返す。

「じゃあ、その赤味噌マニアさんに挑戦しようかな。ふふふ」

鼻の奥で赤味噌の濃い香りを想い出しすでに食べたくなっていた僕に向って、N先生が不敵に笑う。そんなんされたら……いいでしょう。受けて立ちましょう。僕が知らない赤味噌があるんだったら素直に頭を下げましょう。幻って認めましょう。けれど赤味噌勝負だからって、なめちゃダメですよ。僕は赤味噌を愛し、なんなら赤味噌に愛されているマニアですよ、唸らせられるものならやってもらいましょう!

「いいでしょう。連れってください!」

僕は鼻の穴を目一杯に開いて、答えた。

僕たちは会計を済ませて店をあとにし、区役所通りから大久保方面に向かって歩き、ホストの店が多くなるあたりに目当てのビルを見つけると、哀愁がこぼれてきそうな階段で、昭和しか香らない3階に上がった。

「じゃあ、一万円」

スナック感満載の扉の間で、N先生は右手を僕に差し出した。

「ここ会員制でさ、入るのに一万円かかるの」

日頃からお世話になっている先生に、いや、赤味噌を食べるのに一万円って暴利に過ぎませんか!とは、言えず、僕は渋々と一万円札を差し出す。幻の赤味噌が食えるなら、一万円でも惜しくないか……と自分を納得させつつね。

ギィ。

年代物の扉が、見た目にたがわない音を出しつつ開く。中を覗き見ると、こちらも外見からの予想をまったく裏切らない、ザ・スナックの造り。決して広いといえない店内の左手に10人も座れば満席になるL字型のカウンターが設えられ、右手には4名がけのボックス席が2つ置かれていて、6割方お客さんで埋まっていた。

「あら、N先生、お久しぶり」

カウンターの中に立っていた五十がらみのママが、甘えた声を出す。すべてが完璧な昭和のスナック。こんなところに本当に幻の赤味噌があるのか?

「よっ。今夜はこの子が赤味噌を食べたいってんで連れてきたんだ。いつものアレ、たのむよ!」

N先生は言うが早いかカウンターに座り、上部に据え付けられた棚から自分の名前がかかれた『神の河』を取り出し、タイミングを合わせて前に出された氷入りのコップに注いで美味そうに一口飲み、それから僕にも同じものをつくってくれた。

「おまたせぇ〜」

僕が『神の河』のロックを半分くらい空けた頃、ママが僕らの前に小さな丸い皿を置いた。中にあるのは、円すい形に盛りつけられた薄茶色の味噌。

「うふふ。これが幻の赤味噌だ。見たことないだろ?」

自慢気に箸を割るN先生の横で、僕は疑心の塊となっていた。完全に「見た目」が違うからだ。僕にとっての赤味噌はもっとドス黒く、焦げ茶色といってもいいくらいの色だからだ。でも待てよ、「幻」と言われる赤味噌なら、多少色が違うことがあるかもしれない。僕はそう思い直しつつ、赤味噌を箸で一つまみして口に入れた。

「いやこれ、赤味噌じゃないですよ!」

その味噌が味蕾を刺激するや否や僕は叫んだ。

「全然違う。赤味噌はもっと辛くて、ドシってしてるんです。なんですか、これは!」

興奮して立ち上がった僕に、ママが呆れ顔をしながら、こう言った。

「おばかさんねぇ。あなたが言ってるのは『八丁味噌』でしょ。いま食べたのは『仙台味噌』。私の実家が仙台で、昔ながらの製法でお味噌を造ってたのよね。けれど父が他界して、いまは母が家族の分だけしかつくらなくなって、だけど『美味しい』って評判なのよ。築地の料亭さんから『ぜひ売ってください』って言われてるんだから」

続いてママが口にした料亭の名前は、僕でも知っているくらいの有名店だった。

「けどな、そこには味噌を卸してないんだ」

N先生がとろんとした目で言う。

「いまこの赤味噌が食えるのはこの店だけ。だから『幻』なんだよ」

衝撃だった。僕の中で赤味噌は、足しても引いても『八丁味噌』以外ありえない。というか、『八丁味噌』のあの味以外に赤味噌があるなんて、微塵も考えたことがなかった。僕はスマホに飛びつき、「赤味噌」を検索した。

赤味噌……その名の通り、見た目が赤っぽい(濃い)色をした味噌全般を指す言葉です。原料・製法などが所以では無く、シンプルに見た目の色が赤っぽい(濃い)色をした味噌を指す総称です。

なんてことだ!

僕は赤味噌マニアを名乗りながら、実は赤味噌のことをまったく知らなかったのか!

愕然としながら、検索を続ける。

『八丁味噌』とは愛知県を中心に東海地方で親しまれている赤味噌です。岡崎城から西へ八丁(約870m)で作っていたから、この名前で呼ばれるようになりました。『八丁味噌』を色で分類するなら赤味噌の仲間ですが、原材料は大豆と塩のみで作られている色の濃い味噌です。味噌を作るのに使われる麹も大豆に麹菌を植え付けて作った豆麹を使っている豆味噌で、米麹を使って作る一般の赤味噌とはまったく違うものといってもいいでしょう。

「な?」

スマホにかじりついて呆然としている僕にN先生が話しかけてきた。

「知っているようで知らないことって、たくさんあるだろ?」

まさに。まさにその通りだ。一万円のお勉強。

はたして僕は赤味噌マニアから、八丁味噌マニアに名乗りを変え、そこからはまっすぐに八丁味噌マニアの道を突き進んでいる。 (岸 正龍)

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