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センチメンタルジャーニーには焼売

· ソウルフード

久しぶりの同窓会からの帰路、井の頭公園のそばに住む私は夕暮れどきの園内に入った。 樹木が豊かな公園内を吹き抜ける風は心地よく、行き交う人たちを横目に池の畔にあるベンチに座った。 

ヨーロッパの公園で見かけるような木製の背もたれ椅子は公園の風景のなかに溶け込んでいて、私を柔らかく包んでくれる。 

思えば40年以上も前のことだ。 

当時付き合っていた彼女と吉祥寺の薄暗いBARで安酒を呑んだ後、この場所でよく深夜まで語り合った。 

熱愛していた彼女と座ったのは、池にかかる橋を眼前に臨むこの場所だったはずだ。 

結婚して吉祥寺を離れてしばらくは折々に公園に来ては懐かしんでいたが、子どもが生まれ、仕事に忙殺されるようになってからは次第に足が遠のいていった。 

だが、井の頭時代の想い出は、時折開く大事なアルバムとして、私の胸の中で今も色あせることはない。 

仕事をリタイアして再びこの地に戻ってきたのも、当時の想い出たちがそんな私を呼び寄せたからなのかもしれない。 

仲間たちとコーヒー一杯で何時間もねばった公園脇のジャズ喫茶の堅い椅子とタバコの煙。花見の晩、園内の野外音楽堂のステージに上がりこみ、酔ってギターを弾きながら騒ぎ、おまけに池に飛び込んで警官に叱られた仲間たち。 

太宰治が入水自殺した玉川上水沿いのアパートから程近い「おふくろの味」という食堂に集う同世代の独り者たちとの出会いと別れ。 

二日酔いの朝、ぼーっとしながら通勤路でもある園内を行くと、下手くそなトランペットが聴こえてくる。 

芝居の稽古なのだろう、大声でセリフを語っている女がいる。 

あの頃の私は、将来のあてもなく貧しかったが、間違いなく心は自由で、根拠のない自信に満ちあふれていた。 

ふと目を上げると、橋の上に一人の女性が現われたような気がした。 

そしてその瞬間、周りの世界が一変したように思え、私は強い眩暈に襲われた。 

数日後、懐かしい名画を観た後、その余韻を胸にいつものベンチを目指すと、そこには先客がいた。 

近くのベンチに座って待つことにしたが、一心に橋を見つめ続ける若い女性の横顔を見ていると、にわかに心が騒ぎはじめた。 

彼女も私に気づいているようにさえ思えてきて、無性に声をかけたくなった。 

しかし、さすがにその勇気がもてぬまま、日が暮れていく。 

鳥の羽ばたく音がした。 

ふいに立ち上がった女性の顔が正面から見えたと思うと、すぐに後ろ姿に変わり、やがてみえなくなった。 

追いかけたい気持ちにかられたが、幻想のように思え、しばらくその場を動けなかった。 

あの人だ・・・ 

幻影にとりつかれた私は、その日を境に、さらなる幻を慕うようになっていった。 

だが、祈るだけでは望むものは現れず、思いあぐねた末私はある昼下り、それが現われるまで何時間でも待ち続けようと心に決めた。 

この幻への旅支度は、崎陽軒のシューマイ弁当とポケットウイスキー。 

だが1時間、2時間と経ち、やがて日も傾いてきたが、何も起きてはくれない。 

いつもと変わらず、近くのベンチには代わる代わる様々な人たちが座っては去っていく。 

そして日が落ちてからは、周りのベンチはカップルばかり。 

自分がひどく場違いに思えてきて、人の目が気になって仕方ない。 

この目的を示さなくてはと、慌てて弁当の包みを空けた。 

昔から大好物のシューマイの味が、嬉しいことに気弱な私を救ってくれる。 

『孤独のグルメ』の井之頭五郎だったら、「今日は孤独のグルメ・ベンチ編です」とでも言って悠然とシューマイをほおばることだろう。 

固まった体を起こし、痛む尻をこすっているとき、少年に連れられて散歩していた犬がいきなり私のベンチに飛び乗ってきた。 

驚いた私はベンチから転げ落ちそうになったが、その犬は、少年時代に拾ってきて寝食を共にした柴犬の「ルル」にとても似ている。 

犬は心配そうな顔をして私の顔をペロペロなめてきた。 

その懐かしい瞳に見つめられた私は思わず泣きじゃくりたくなっていた。 

そんな私に、ゴッホの『糸杉』に似た樹木の間からひときわ輝く星の光が降り注いでくる。 

ああ、そうだ。私の旅路はここにあったのだ。 (玉越 直人)

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